なぜブログを書くのだろう? なぜウェブでソーシャルな活動しているのだろう?

特に自分のように日記みたいな個人ブログでは、書く動機があるような無いような、という方も少なくないはず。
目的が分からずモチベーションが上がらないまま、フェードアウトしたり…。
僕はなんだか、もやもやした気分でした。

そんなわだかまりの答えを、的確に出してくれるような素晴らしい記事がありました。
とても共感して感動したので、引用して紹介させていただきます。
文字が多いですが、飛ばさず読んでくださればうれしいです。

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PENTAX K-7 with TAMRON 90mm F2.8 Macro
 
●ウェブの大きな可能性のひとつは?
2003年、個人サイトからブログに移行する時期に書かれたすばらしい文章を、最近見つけました。
ウェブの、特に個人がウェブで発信することの可能性とは何だろう?
それは…、
大きな声で同意を求めたり、賢しらな顔で意見を述べたり、興味深いニュースにリンクを張ったりしなくていい。別に「世界中で別々の場所で別の日常を生きている人たちの真摯な思考が、少しずつ寄り合わさって、力強い言葉になってい」かなくたっていい。
むしろ力強さやジャーナリズムなどとは正反対のところにある、耳を澄まさないと聞き取れないような小さな声で語られる言葉。私にとってウェブとはまずそういう言葉が語られる場所であり、またそうした言葉をこそいとおしいと、私は感じるのですね。
そして、そんな小さな囁きにも耳を傾ける人がどこかにいるということ、それこそがウェブの大きな可能性のひとつだったんじゃないか。 

その頃のネット界隈の事情を自分は知らないのですが、著者は新しく出てきたブログというサービスに戸惑ってやや批判的になりながらも、ウェブの根本的な役割に思いを馳せておられる。その感覚が時を経ても伝わってきます。
 
ソーシャルなサービスが花盛りの現在、原点に思いを戻してくれる文章かと思い、最近この記事を見つけてから繰り返し読んでいます。

●「わたしはここにいます!」という叫び
 多くの人がウェブサイトを開くのは、別にウェブジャーナリズムの一翼を担うためなどではなく、「わたしがここにいること」を誰かに承認してほしいからだろう。
星の数ほどある個人サイトのすべてが、「わたしはここにいます!」という叫びなのだ。
読冊日記より
ほんとに、自分はそう。
別にアフェリエイトでお金を稼ぎたいわけじゃない。
ただ、自分がネット上に存在している証(あかし)を示して、それを「誰か」に認識してもらいたいだけなんです。
それは素朴すぎるけれど大切な、人の根源的な望みのひとつかな、と思うんです。

そして、せっかく見に来てくださる方がおられるのだから、少しでもその方々の役に立てばとちょっとは考えて、記事を書いているんです。

たとえるなら、それは夜空の星の会話のようなものだ。
漆黒の闇の中、ぽつりぽつりと星が点在していて、ときおりかすかな瞬きで会話を交わしているような光景(大気がないと星は瞬かない、などと野暮なことを言わないように)。
それが、かつて私が日記を始めた頃にウェブに抱いていたイメージである。
読冊日記より
自分のブログのタイトルは「Crux's Stardust Diary」です。
「Stardust(星屑)」と名付けたのは、星の数ほどある屑のようなブログかも知れないけれど、それでも少しだけ光っていたい、そんな想いがあったからなんです。

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●時が経ても変わらず、繰り返す
この記事が書かれた2003年から月日は経っても、今でも基本的に変わるところはないと思います。
でも当時のブログ黎明期から、今は様々なソーシャルサービスが出てきているので、ちょっと追加も考えたいところです。

そこは、加野瀬さんが書かれています。
加野瀬未友氏「 2010年代の「銀河通信」を考える」 - ARTIFACT@ハテナ系 http://d.hatena.ne.jp/kanose/20101115
 ブログ(オープン)→mixi(クローズド)→Twitter(オープン)ときたので、反動としてクローズドに使えるFacebookのターンになったとはいえるだろう。
これは、ブログで明るくなりすぎて、SNSで静かな方向に回帰。そしてまたTwitterという気軽につぶやくことができる手段で叫ぶようになり、その反動がまたやってきそう、ということですよね。
繰り返し、繰り返しですね。

●「銀河通信」の先見性
さて、ここででてくる「銀河通信」という言葉、何なのでしょう?
楽曲のタイトルなのですが、これは今回とても大切なキーとなる曲なんです。
谷山浩子の「銀河通信」(インターネットなどというものが普及するはるか昔に作られながら、ネット・コミュニケーションを予見していた恐るべき曲)
ということで、谷山浩子さんの「銀河通信」(1984年発表)を聴きました。
恐るべき曲のみならず、素晴らしい名曲でした。

引用の読冊日記では、「銀河通信」の歌詞を通して、ウェブの深淵を分かりやすく書かれています。
「それはどこか宇宙の果ての知らない星からの長距離電話」(谷山浩子「銀河通信」)であり、「誰でもない他者」からの「あなたがここにいること」への承認のメッセージなのだ。だからこそ、誰が読んでいるかはわからないけれど、「もしもし見知らぬ私の友達 私はちゃんと歩いています」(同上)と日記を書くのである。細い、細い糸で結ばれたような儚いコミュニケーション。そもそもウェブ日記にとってもっとも重要だったのは、そうしたコミュニケーションだったように思うのである。
 そしてまた、ウェブログに限らず最近のウェブの世界は光が明るくなりすぎて、沈黙、夜の闇といった、儚いコミュニケーションを受け入れる土壌が急速に失われているような気がする。真夜中ひとりで黙っていないと、銀河通信は届かない。
自分はこの言葉をかみしめながら、何度も何度も「銀河通信」を聴いています。
よければ、下のYouTubeで銀河通信を聴いてみてください。


「銀河通信」 谷山浩子

最後に、このブログを見てくださっている方にメッセージ代わりに歌詞の一部を。
 
「もしもし 見知らぬ わたしの友だち
わたしはちゃんと 歩いています
今は小さな 命の種が
遠いあしたに 花ひらくまで
静かな川が 流れ流れて
大きな海に ひろがる日まで」
ありがとう。